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2009年6月19日 (金)

「市民クラブ」横浜FCの2年(記事スクラップ)

20010113
http://home.att.ne.jp/blue/supportista/koneta/yokohama-fc1.html

1、2年目の虚像~昨年度チーム予算の蹉跌
2、赤字5200万が生じた経緯?
3、間に合わなかった、待てなかった=ソシオの成長
4、対立の構図 ~ 市民を信じられなかった辻野・奥寺執行部

1、2年目の虚像~昨年度チーム予算の蹉跌

 運営会社の経営悪化に伴い親企業は支援放棄と縮小、一方的にマリノスとの"合併"を発表。そこから始まった横浜フリューゲルス再建運動。そして、フリューゲルスに代わる新しい「市民クラブ」としての、横浜FCの設立から2年が経とうとしている。JFLを圧倒的な強さで勝ち抜き、悲願のJリーグ昇格を決めようとしている横浜FCにとって、この2年間は何だったのか。取材をとおして、J昇格後の横浜FCの抱える課題を検証する。

 12月に入り横浜FC公式HPに掲載された「予算」について、驚きや不安を感じた人が多いのか?それとも当然と感じた人が多いのか・・・?
 今年8月6日の公開理事会で、横浜FCは一部のソシオ会員から不安視されていた来期予算についての説明資料を配った。そこには総額5億円から3億円まで、4通りの予算額が書かれており、公開理事会の席上で経理担当の加藤氏(現取締役総務部長)から「3億円の予算では、選手の年俸も半分近くになります。クラブの運営経費も出ず、事務所を誰かの自宅に移すなどしなければならなくなります」と説明していた。12月5日に送られてきた予算案には「事業収入 4億1637万円」とある。この数字だけ見ても、8月頃までの辻野前社長や会社スタッフの「来期予算は5億程度」という説明と大きく食い違っている。
 項目ごとに見ていくと、実質的な選手・監督などチームスタッフの年俸である「クラブ経費」の項目が2000年度に比べて5000万円以上も減っている。注記には「一部スタッフの報酬を販管費へ移行」とあるが、これは取締役に入った奥寺GMと田部強化部長のことを指しているのだろうが、それをはるかに上回る減少額だ。選手・スタッフの数が仮に今年と同じだったとしても、平均年俸は8割の切り下げになる。まして、来年は試合回数が2倍以上に増えるため、2、3名の選手増員も予定していたはずで、それを含めば現役選手には3割以上の激烈な年俸切り下げが提示されたことになる。
 この報告、よく見るとおかしいと感じる点がある。商品の仕入れ額に比べて物販収入が不自然に多い。今期銀行から借り入れた3000万円の返済の原資が含まれていない。来期のスポンサーが確定していないこともしかり、図抜けた観客数で鳴らした浦和と札幌がJ1に昇格したうえに、J1・J2が同日開催になることの観客動員への影響が考慮されているかどうか不明な点など、問題点は数多い。
 だが、そうした詳細よりもずっと残念なのは、この予算案が公開理事会などの直接説明の機会もなく、ただ会員に提示されただけだったということである。「会社のソシオが話し合い、その創意をJリーグに資料として提出する」という6月24日の公開理事会での望月理事長の約束は、あっさりと破られてしまったのだ。
 会計に詳しいあるソシオ会員は「この予算案でも、来年2月末(浜村注、2001年)に迎える資金繰りはきわめて厳しい」と指摘している。その遠因は、やはり当初4億円で立てておきながら、実質的な収入が3億円しかなく、結局年間の収支で5200万円もの大赤字を出してしまった、2000年度の予算に行き着く。
 横浜FCというクラブの2年間、そして今後のあるべき姿を考えるとき、決して通り過ぎることのできない問題が2つある。一つはこの大幅な支出超過予算が、なぜどのようにして作られたのかということ(経営の見通し)、そしてもう一つはこうした過ちが起きるのを、どうして誰も止められなかったのかということ(経営組織)、この2つの問題である。これについて、冷静に"敗因"を分析し、反省をすることからしか、おそらく次のステップはあり得ないだろう。

2:赤字5200万が生じた経緯?
まず予算の根拠となった収支の見通しが、どこから出てきたのかということを考えてみる。これまでの公開理事会の記録や元役員の証言などを総合してみると、2000年度予算は次のように決まったことがわかる。

・99年10月 宮崎常務(当時)から、来期予算として2億4800万円が提示される。宮崎氏は「来期は優勝が絶対条件ではないので、99年のようにほぼ全試合勝てるほどの戦力を持たなくてもよい」と指摘。
・99年11月 宮崎氏の予算案に対して、選手年俸が切り下げられ士気が下がる、一部のスタッフの解雇を想定しているなどの理由で、辻野社長が拒否。社長権限で3億2000万円まで予算を増額することになった。また、社内調整のため11日付で宮崎常務が役員をいったん辞任。
・99年12月? 選手との契約開始。この時点でいつのまにか総予算額は4億円にすり替わっていた。「予算額については(辻野社長以外に)奥寺GMも知っていた」との証言あり。
・99年12月末~1月初? 辻野社長が個人的に理事数人に予算について相談。この結果、根回しをしてYFSC役員会で4億500万円の予算を事後承諾させる計画が持ち上がる。
・ 1月13日 役員会。辻野社長から「理事会が承認してくれた」という説明があり、4億の予算案が役員会に示されて採決された。

 この経緯を見て、いくつかの問題点を指摘できるだろう。
 まず、辻野社長をはじめとする会社スタッフが99年12月頃にどこからか湧いた「1億円の胸スポンサー」という話を、不確定な段階で予算に組み込んでしまったことである。
 ところが胸スポンサーは現れなかった。現場サイドや会社スタッフはあわてて予算の見直しをかけた。増やすつもりだったスタッフ人数を元に戻し、キャンプ回数を減らす(実際にはスポンサーで会場を提供してくれるところを探して代替した)などの調整で、なんとか支出を4100万円削った。支出総額が3億6400万円なら、収入の見込み3億2000万円に再建基金の残り4500万円を借り入れて上乗せすればつじつまが合う。2000年の予算は、安易な経営計画のうちにこうして決まったのである。
 理事会議事録にあった、辻野氏の「理事会が承認してくれた」との発言をみれば、予算承認に関わっていた理事も含めた関係者が、次のように考えていたことは容易に想像できる。
 「横浜フリエスポーツクラブの辻野・奥寺という現トップを守らなければ、J2への昇格は出来ない。そのためには、予算の決定経過に関わるあらゆる内部情報を伏せなければいけない」と。

 この「辻野・奥寺の現体制を守らなければJに昇格できない」という論理は、いったい正しかったのだろうか。
 そもそも、日本サッカー協会がなぜ横浜FCをJFLに昇格させたかを考えれば、それは明白だ。「市民が作り、市民が運営する初めてのクラブ」だったからである。これは、J昇格のためには横浜FCに何が必要で何が必要でないのかを、辻野社長以下スタッフが根本的に勘違いしていたということを意味している。
 確かに昨年11月の最終局面では、辻野氏に代わって奥寺氏が社長に就くという政治的処置によってこそ横浜FCのJ2昇格が確定した側面があることは否定できない。しかし、JFLの上位チームのうちJに昇格する気のないチームが2チームもあるということを考えると、健全な経営を維持してそこそこの成績を上げて3位以内に入れば、十分に昇格圏内だったはずなのだ。奥寺氏という個人がいるがゆえに横浜FCがサッカー界に存在しているわけでは、決してない。
 しかし、事態は逆の方向に向かった。昨年度の横浜FCは、コストをかけることによって選手とチームという「商品」の価値を高める、一般の企業で言えば「開発・製造」部門の希望を100%聞き入れてしまい、その商品が期中にどれぐらいの現金収入を生むかという、いわば「マーケティング・営業」部門の判断が、開発部門とは独立したところでなされていなかったのだ。カネを使う側の言い分を、カネを稼ぐ側の見通しと十分なすりあわせをせずに決められた横浜FCの予算編成には、非常に大きな問題があったと言わざるを得ない。そして、紆余曲折を経た今も、横浜FCのそうした体質は、カネを使う側の人間であった奥寺氏、田部氏が役員に入る一方、カネを稼ぐ側の担当者が取締役会の中の誰なのかまったく不明のままである。企業の基本中の基本である「収入と支出を、それぞれ誰が責任を持って管理するか」が決まっていない横浜FCの第1の問題は、2001年もそのまま引き継がれることになった。

3:間に合わなかった、待てなかった=ソシオの成長
99年末における予算編成に関するミスが、仮に百歩譲って「仕方なかった」ものとしよう。しかし、そのあとの処理、つまり組織としての横浜FCの対応がもっと問題が多かった。この時点で、問題は「カネの扱い方」から、「リスクを管理する組織体制」の問題に拡大していくことになる。
 まず、辻野社長はこうした一連の失策を隠すため、役員会という会社組織の通常の最高意志決定機関をなんとかやり過ごそうとした。本来ならば、ミスがあったことを役員会で報告した上、役員が一致団結してやり繰りに当たるというのが普通である。ところがそうならなかった。なぜか。横浜FCの(出資したという意味での)創業者は辻野社長、宮崎氏、鈴木氏の3人である。この3人は当初、辻野氏の熱意と人当たりの良さ、宮崎氏の企業経営の手腕、鈴木氏の人的ネットワークとバランス感覚という、それぞれの持ち味を生かす形でクラブを支えていた。ところが、99年8月頃から、様々な原因によって3人の連携が崩れ始めていたのだ。その詳しい経緯についてはここでいちいち触れないが、どれも非常に些細な考え方の違いから3人の間に対立感情が醸成されていたこと、そしてその3人のうち誰も他の2人を説得して協力を取り付けるに足るリーダーシップと説得能力のある人物がいなかったということに尽きると思う。程度の差こそあれ、この点では3人とも同じである。
 このころ、ソシオ側は「ソシオ研究会」を開き、会員内の行政・コンサルティング・会計などの専門家を集めて、クラブのガバナンス(統治)の仕組みを整備することを検討していた。横浜FCはいくらソシオによって支えられているとはいえ、現状でその法制度的な保障はまったくない。ソシオは実質的には会社に会費を振り込む会員の任意団体でしかなく、会社の重要な経営方針に関与する権利は、株式を持つ3人の創業者にはあっても、ソシオには理事会と会社の「協定書」以外に、何もないからである。3人の経営陣が少しでも判断を間違えれば、それを組織的にフォローすることができないというリスクを横浜FCは抱えており、それを誰もが恐れていたのだ。
 当初ソシオ研究会(その後持株会検討会に改組)が考えていたのは、横浜FCの株式を持株会というかたちでソシオが持ち、株主権限の行使を通じて会社に経営の透明性、健全性を求めていくというものだった。検討会の中では「ソシオの民主的な決定を生かすために、横浜FCそのものをNPO(特定非営利活動法人)化してはどうか」という意見も出ていた。ただ、これは従来のJリーグのクラブでNPOが運営主体であるケースがないためと、J昇格を目指している最中に株式会社からNPOへの事業譲渡という「運営主体の変更」をするのは良くないのではないか、といった理由から見送られた経緯がある。

 本来、横浜FCが市民クラブという「社会の公器」であるためには、3人の創業者の個人的資質だけにクラブ経営を頼っている事態は好ましくないのは事実だ。このこと自体は、辻野社長自身も「Jリーグから『3人しかいない株主をどうにかしなさい』と言われた」と認めている。全日空事件の教訓を生かすならば、横浜FCの重要な経営上の方針は、資本の力によらない(つまり選挙で選ばれた)人たちが関与して決めるような仕組みを作るべきだった。それは、「責任ある立場からクラブの資金・運営の両面を支えていこうという然るべき組織を株主に入れなさい」ということと同義である。横浜FCの場合、この「責任ある立場からクラブを支える人・組織の集まり」のことを、「ソシオ」と呼んでいるわけだ。持株会という、資金を拠出しながら、資本の多寡ではなく1個人あるいは1組織が1票の投票権を持つという組織は、横浜FCを支える「責任」を、資本の論理から民主主義の論理に変換する装置として考え出されたのである。これは画期的な発明だった。
 しかし、創立1年目の会社には、こうした運営基盤づくりに対応するだけの余裕はなかった。ソシオが意見しようとしても、会社側の回答は「今は会社の基盤が脆弱すぎるので、多数の意見を聞いている場合ではない」であった。残念ながら、2年目になって幾人かの役員が入れ替わっても、こうした対応は変化しなかった。JFL参入とクラブの存続だけが課題であった1年目と、J2昇格を控え、ソシオの参画を含めた民主的なガバナンスの仕組みづくりが課題であった2年目を取り違えて、「会社のことは会社の中だけで決めていい」と勘違いしたのが、99年の後半に会社の運営に関わっていた、ほぼすべての人たちの根本的な過ちであったと言ってよい。

4:対立の構図 ~ 市民を信じられなかった辻野・奥寺執行部
話がややこしいのは、赤字責任の所在をめぐって「辻野・奥寺以下現体制を守らなければJ2に昇格できない」と考えたソシオ理事会の多数派(理事の中でもこうした真実を知らされていたのはごく一部であるが)が、「市民の声を聞く民主的な組織体制を作らなければ、観客動員やボランティア運営、ひいては広告スポンサーなど、クラブの存立基盤そのものが揺るがされる」と考えた残り2人の株主(に加えて、そうした裏の事情や私的な対立感情を知らない少数の実務派ソシオ理事を中心とするサポーターの一部)の動きを、「昨年11月にいったん役員を退任したにも関わらず、宮崎氏は会社への復権と辻野社長の追い落としを狙ったもの」と読んだことにある。もちろん、一般のソシオ会員はそうしたことを知る由もない。
 それ以降の展開は会社内部の組織体制、リスク管理体制の問題から、「宮崎復権絶対阻止」を掲げて説得・根回しに走るソシオ理事多数派と辻野社長以下、会社スタッフらと、会社の資金繰りやソシオの基盤強化がいつまでたっても見通しのつかないことに心配といらだちを募らせる少数の実務派理事と財務・法律など専門知識を持ったソシオ会員ら間の議論のかみ合わない対立に発展していったのである。
 その後の展開は理事会の議事録、各種マスコミの報道などでもあらましを追うことができるので詳しくは省略するが、その後6月11日の公開理事会では宮崎氏によって役員退任の経緯、会社側加藤経理部長による予算編成の経緯が公表され、6月24日の公開理事会では会社から99年度末の貸借対照表と2000年度の予算表が公表された。また、8月6日の公開理事会では2000年度中間決算報告と、冒頭にも引用した来期の予算シミュレーションが公表された。
 会社からの財務データは、詳細はともかくとして全くの虚偽ではない(むしろ一般の未公開企業にはもっと悪質な粉飾決算が付き物)点で、いずれも一定の評価を与えられる内容が公表されている。それでも混乱した事態が収拾できなかった理由は、単純化の批判を覚悟でいえば、「ソシオの声をじっくり聞く場を、最後まで会社側が設けようとしなかった」ということに尽きると思う。おそらく、7月9日の臨時集会でも、8月26日のソシオ総会でも、とにかく丸一日かけて会社側がソシオの意見をじっくり聞き、辻野社長が具体的な問題解決に手と知恵を貸してくれるようにソシオに対してお願いをしていれば、これほど事態はこじれなかったであろう。実際、経営を心配していたソシオ会員の一部は、独自の運転資金調達プランから長い間の念願だった練習グラウンドの手配と具体的な整備計画まで準備して、会社側に提案できる機会を待っていたのである。遅くとも8月末までにこうした経営改善の提案が会社側に採用されていれば、横浜FCは今のような危機を迎えずにすんでいた可能性が高い。
 しかし、辻野社長とそのシンパの一部理事は、こうしたソシオからの経営改善の提案を受け入れることは、すなわち「宮崎氏の役員復帰、辻野・奥寺追い落としにつながる」と断じて、話し合いさえ拒否の姿勢を貫いた。かろうじて望月理事長が、こうしたソシオが自主的に設定した話し合いの場に出てきたが、彼は話を聞いていったん同意はしたものの、辻野社長や一部の強硬な考えの理事を話し合いに応じるように説得しようともしなかったのである(望月理事長は、辻野氏や強硬な理事から"反体制派"のソシオの言い分を確認して来るようにとの指示を受けて参加していただけだという指摘もある)。
 こうして、公開理事会での質疑や署名の提出など、さまざまなかたちでの改善提案がことごとくはじかれ、最後の頼みの綱だった辻野氏との直接会談(9月6日)でも、辻野氏に「法的手段にでも何でも訴えればいい」と一蹴されたことで、宮崎氏と鈴木氏は最後の手段に出ることを決意した。それは、株主権限による株主総会開催要請と、その場での新役員送り込みであった。2人が持つ株式を合わせれば、発行済み株式数の3分の2となり、役員の任命や代表取締役の解任といった、ほとんどの株主権限を行使することができる。「ソシオによる民主的な意思決定と経営への参画」をうたってきた両氏にとって、自分たちが「ソシオに代わって仮に持っているだけ」としてきた株式保有の権限を行使することは、それ自体大きな矛盾だった。しかし、彼らにはそれしか手だてが残されていなかったのである。彼らは周囲の専門知識のあるソシオ会員に、新役員として会社の経営を建て直すことを依頼して了解を取った上で、辻野社長に株主総会開催要請の通知を送りつけたのである。
 この後はマスコミにもさんざん書かれた通りの結末となった。辻野社長はこの最終手段をすでに想定していたのか、すぐさま反攻に出た。取締役会で資本金の増資を決議し、2人の株主が2000万円もの増資資金を1カ月もないうちに用意できないことを見越して、両氏が引き受けなかった株式を他のスポンサー企業などに買い取らせ、2人の株式保有比率を半分以下にしてしまうことを狙った。また、増資の件は伏せたまま、株主総会で自分が解任されるということを10月初めにマスコミにばらまき、同情を集めようとしたのだ。10月6日深夜から延々2日にわたる交渉の末、宮崎・鈴木両氏は株主総会の開催要請を取り下げ、彼らの会社改革の最後の望みは絶たれたのだった。10月末、非常勤で残っていた鈴木取締役は辻野社長に辞表を提出した。辻野社長も、11月11日の株主総会で役員を外れ、創業者はすべて舞台から去った。

 しかし、この一連の事件は皮肉にも広く世間に表沙汰になることで、Jリーグへの昇格審査にも決定的に大きな影響を残した。それまで会社内部の問題であった、横浜FCの経営体制の問題だったことが、Jリーグにとっても「市民クラブ」であるかどうかを左右する、きわめて重要な問題だということに認識が変わったのである。
 現在、創業者3人はいずれも会社の役員から退任したことで、「市民クラブ」横浜FCは宙に浮いている。株式も、最大の3分の1を奥寺社長自身が一時的に預かっていることで、宙に浮いたままと言える。これを「普通のクラブ」にするのか、それとも「本当の市民クラブ」へともう一度仕切り直すのか、それはまさに今後のソシオ会員をはじめとした、横浜FCに関わる人々すべてにかかっていることである。その意味で、僕らは2年前の振り出しに戻った。違うのは、与えられた舞台がJリーグかそうでないかということだけだ。
 横浜FCとは、「サッカー選手」だけが商品価値を持つ企業クラブと同一ではない。それは、本質的には「クラブの経営に参加する」ことそのものが、選手や監督をサポートし、いいゲームを楽しむこと以上に経済的価値の高いものであるということを証明しようとしている運動である。そして、多様な価値観と能力を持った「横浜FCを支えたい」という思いの人々の集合体である「ソシオ」を基盤にして、それがどこまで堅固で大きくなるかを、絶えず挑戦していくように運命づけられた運動である。
 今年起こったことを、決して後ろ向きにとらえてはならない。3人の創業者がそれぞれに持っていたクラブへの熱い思いを、マイナスの方向ではなく、プラスの方向へ転じていくのは、我々「ソシオ」全員の役割である。(青い翼通信編集部)

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